化け松

お話 萩原 とく   
(明治42年生まれ)

 昔一丁目に、活動小屋があったの。(旧行徳郵便局の裏、今は住宅が並んでいる)汚い活動小屋でネ。十銭で入れるの。
 そいでネ、ドンチキ、ドンチキと、こうやって頭かぶってさ、今日芝居があるって、こう叩いてさ、地回りするわけなのネ。そうしてネ、今日はいいのだから「じやあ、行って見ようかしら」ってネ。うちは若い衆が大勢来るから、
 「おごってやるからやべよ」 って言うの。
 「そう、おごってくれれば行く。お金くれないから、じゃあ行く」。それじやあ、誰それと行くよって、うちに言って行くの。みんなで見に行くですよ。帰ってくるのが遅いでしょ。退ける(終る)のが十時まで呼ると、十時半でしょうか。お腹もすくしネ。そいで、あそこにそば屋ンあるですよ。(峰崎の隣が塩野谷)そば屋さんでネ。もりかけが八銭でもって、 「寒いからかけにしよう」って言ってみんなでかけを食べて。そうしてネ、来んですよ。そうよネ。もうはあ十半か十一時頃になっているじやないかな?
 ニ丁目道は両脇が堰になっていたんですよ。それから幼稚園の手前が、大っかい石橋になっていたんですよ。そいでこう、みんなで来るてと、ここへ来ると何かゾーと寒けがするって、みんな言ったんですよ。言いながら歩いて通ったの。そうしたら、てんきり、こんな大きなタンスがワーと化け松の所から下がっちゃったの。
 円頓寺を曲がって、ちょいと来ようと思うと、松の木がちょうどこういう風に、往来へ出ちゃってたの。ここ歩いて行かなくちゃどうしたって家へは帰れない。それからみんなで、ワァワァ騒いで石橋の側まで来るの。するとネ、おじ横町って言ってね―おじの人達がみんな、あそこに世帯持ってるから―そこまでみんなで騒いで来て、四軒町っていう家へ駆け込んじゃうの。そうすると
 「おめえら、どうしたのか?」
 って聞かれてね、
 「今あそこでタンスが下がっちゃってネエ、えらい目にあっちゃった」
 って言って、そこで一服して、急いで家へ帰って来るの。
 それでネ、それはキツネじゃなくてムジナなんだってサ。
聞き手 田島
記録 秋本きよみ

化かされたおのぶさん
お話 小島 くめ    
(明治34年生まれ)
 あたしらが娘時代にね、タマイチ(屋号)の姉の子に、おのぶさんてのがいてね。中山の方にいるんだよ、今は。
 その、おのぶさんが十五のときに、一丁目にね、そば屋があんでしょ、あのそば屋で女中してたの。そうするとね、円頓寺だの、お寺でよく、天ぷらそばや何か頼むんだって。
 それで、あそこに横町稲荷ってね、あの稲荷にゃね、悪さしてしょうがない狐がいたんだって。それで、おのぶさんがね、
「お待ちどうさま」
 ってね、持っていくんだって。それでなかなか帰ってこないんだってよ。そうするとね、またやられたかなと思ってネ、わかいし(若い衆)が見に行こうかと思ってるとね、お寺の方でもサ、なかなかそばが来ないもんだから、
「さっき頼んだてんぷらそば早く持って来てください」ってネ、小坊主がネ、催促にくんだって。
「もう三十分も前に持って行ったんですけど」ってそば屋でも言って。
 そば屋の小僧さんが行ってみるとね、お墓のそばに、こうやって座って
「まだですか」とか何とか言ってるんだって。それで、ぽんと肩を叩くとね、気がついて、
「旦那さんが食べる間、待ってろってから、今ここで待ってました】って。
 はあ、どんぶりは、からっぽになってて、狐が食っちやったんだ。墓石の前にちょこんと座っちやってね。それ(墓石)が旦那さんに見えたんだって。
狐がはぁ、門のそばに立っていて、門を入っていくとね、
「こちこち、こちこち」ってね、墓場の方へ連れて行かれちやうんですって。
記録 内田喜久子

銭湯の帰り
お話 磯貝 さき
(明治三三生まれ)
 昔、円頓寺のそばに化け松ってのあっただよ、今切っちゃったけど。
 あそこへは、昔、タンスだのね、着物だのね、お月さまだのが下がったもんだよ。
 あたしもその化け松で化かされたことあんの。七つぐらいな時分に。
 そいでね、三丁目に湯んできて。そいで、オモテイサバ (屋号)の今の母ちゃんの親にあたる人と、うちの親と、そこの子供とあたしと四人だっけかな、それで三丁目の湯へ行ったの。
 で帰ってきてね。あたしん、ちょうちん持って川のそば来たの。そいで化け松んとこへ来たら、それこせ化かされちゃってね、川ん中へおっことされちゃったの。
記録 内田喜久子

化け松
お話大東 つぎ
(明治34年生まれ)
志村 とみ
(明治34年生まれ)
-ゲンコのお婆さんが産婆さんしてただって。せんにヤほら、お産婆さんてのはいないでしょ。ゲンコのお婆さんが取り上げてやってただよ。その人ン、ほら、取り上げに行って、それで帰って、帰りですとよ。
だから十二時頃ですってね。そしたら、提灯つけていて、まっくらでしょう。だから提灯つけて帰ってね。提灯の中、ちょっとのぞいたら、青い顔して、こうやって手ェ出してね、いたですとよ。
 ハッてびっくりして、提灯放り出してね、それで逃げて来たって。
 みんなゆったから、あら、本当ですよ。
-提灯置いて逃げて来たのは、お婆さんじゃねえだよ。お爺さんだよ。お爺さんが大工さんでしょ、あすこは。で、お婆さんがお産婆さんでしょ。
 それでね、あの大工さんが、おしまい仕事だからお酒一杯ごちそうしたもんだから、で、お酒ごちそうになって。だから、それへと飲んでね。やっぱり男でも気が小さかったかどうか知んねけんどよ、四丁目曲がろうかなと思ったけど、ここはさびしい、三丁目ってかんげえたけどね、三丁目も曲がれねで、とうとう二丁目まで来ちゃったとよ。
 したら、化け松の下より提灯つけて、雨ンいくらかぼつぼつ降ってきたから傘借りて来ただとよ。そしたら、提灯の中へ、青い顔がポオーッとのぞいたでねえ、お爺さん、そのお爺さんね、提灯もね、お前さん、傘も道具箱もそこへぼっぽり出しちゃって、腰ン抜けちゃってよ、ころころ、ころころ、石橋まで転がって来ちゃっただとよ。その四軒町まで。
 それでね、、四軒町から、びっくりして、ほら、ゲンコお爺さんで、ゲンコに沙汰ン行ったでしょ。
 ゲンコのお婆さん、お産婆してるくらいでしょ。度胸ンいいからね、大急ぎして行ってみたら、なるほど、みんなぼっぽり出してあんだって、で、おばあさんがみんなもらって持ってきだだって。提灯に青い顔ンいっぺだったってね。
 むじなンおどかしたでしょ。
記録 内田喜久子

 


坊さまヨーホイ
 唄 河村 たみ(大正元年生まれ)
  坊さまヨーホイ
  山の道ゃ 衣がすれるよ
  すれてヨーホイ
  すれても お世話にゃならぬよ
  千葉のヨーホイ
  千葉寺の やぐらの太鼓よ
  いくらヨーホイ
  叩いても あけてはくれぬよ
  お茶はヨーホイ
  新茶で 今飲んだばかりよ
聞き手 内田
記録  大窪 絢子